アパマンの小倉興産売り、ついに最終局面へ
アパマンショップホールディングス(本社、東京都)の小倉興産換金売りが最終局面に達したようだ。玄海キャピタルマネジメント(本社、福岡市)は12日、小倉北口に立地する旧小倉興産の象徴的物件であるKMMビルを取得したと公表した。売却したのは原弘産(本社、下関市)だったが、これにより、アパマンが旧小倉興産の主要な高収益物件をすでに売り抜けていたことが判明した。
1931年に浅野小倉製鋼所(現在の住友金属小倉)の築港部門から派生した小倉興産が、友好的買収を装った敵対的買収を仕掛けられ、企業解体へ至るまでの道のりを辿った。
- 2003年3月
- アドバンテッジパートナーズ、株式公開買付により住友金属工業などから小倉興産の発行済株式の95.8%を約67億円で取得。なお、小倉興産の固定資産税評価額は合計494億円余り。「事業を再構築し、東証二部上場を目指す」(アドバン社)。
- 2005年2月
- アドバンテッジパートナーズ、アパマンショップネットワーク子会社のASアセットに小倉興産の全株式を75億円余りで売却、転売益を得て手を引く。
- 対するアマパン。「当社の保有するノウハウと小倉興産が保有する不動産・商権・信用を一体化することで潜在価値を顕在化させる」「石油事業は伊藤忠エネクスと業務全般にわたる提携を結び、伊藤忠商事グループによるバックアップ体制を引いてゆく」。
- 2005年4月
- アパマンショップネットワーク、小倉興産本社を東京へ移転。代表者は大村浩次・アパマン社長が兼任。
- 2005年7月
- アパマンショップネットワーク、小倉興産の石油事業を伊藤忠エネクスへ売却。「石油事業譲渡後の小倉興産において、本格的に不動産事業を積極展開する。具体的には、中国・上海、韓国・ソウル、首都圏、 福岡市における不動産事業の本格展開を検討する」(アパマン)。
- ~2005年度末
- アパマンショップネットワーク、小倉興産の従業員をリストラ。従業員数は1/3以下に。
- 2006年7月
- アパマンショップネットワーク、持株会社体制への移行に託けて小倉興産を簡易合併。消滅会社は小倉興産。目当ての首都圏物件を手に入れる。地元対策のため別の子会社を「小倉興産」と商号変更。「(新しい)小倉興産にて事業用不動産のリーシングとプロパティマネジメント事業を展開する」(アパマン)。
- 2007年1月
- アパマンショップホールディングス、ラフォーレ原宿・小倉を閉鎖。旧小倉興産が保有した小倉北口物件の換金売り始まる。
- 2007年7月
- アパマンショップホールディングス、東京グロースリート投資法人に小倉興産7号館・17号館・20号館(すべて小倉北口)を売却。
- 2008年3月
- 玄海キャピタルマネジメントが原弘産からKMMビルを取得したことで、アパマンショップホールディングスがKMMビルを売却していたことが判明。
アパマンが小倉興産買収で用いた手法は「レバレッジ・バイアウト」という。レバレッジは梃子のことで、買収資金の一部または大部分を負債で充当し、少ない手持ち資金で大規模な買収を仕掛ける。当時の小倉興産の企業規模はアパマンの2倍以上あった。
レバレッジ・バイアウトは、小が大に対して敵対的買収を仕掛け、相手企業を乗っ取り、短期で資産を切り売りして、企業を解体するのが常套だ。アマパンは1980年代のアメリカさながらにこれをやりとおした。地元マスコミはアパマンの大本営発表に従順で、アパマンの言行不一致や反地域的行動に対しては関知しなかった。
アマパン創業者の大村浩次社長は北九州の専門学校出身で、北九州の不動産業界で企業家として身を起こした人だ。小倉興産解体では地元の人脈をうまく活用し、アパマンが表立つことなく巧妙に立ち回った。