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小倉伊勢丹が撤退 井筒屋が手中に収める

井筒屋(本店、北九州市)は25日、伊勢丹が保有する小倉伊勢丹の全株式を取得し、完全子会社化すると発表した。小倉伊勢丹は債務超過のため、取得価格は備忘価額の1株1円になる。株式の引渡し期日は2008年3月31日。小倉伊勢丹は2007年度末をもって閉店し、改装を経たのち小倉井筒屋の三番館として再出発する。この決断が好感されて、井筒屋の株価は急騰した。

小倉伊勢丹は伊勢丹と井筒屋の合弁会社だ。出資比率は伊勢丹が70%、井筒屋が30%。2004年2月にセントシティ北九州(旧小倉そごう)に出店したが、地元財界に急かされて準備期間がなかったことや、合弁相手である井筒屋への気兼ねが災いして、売上げが低迷した。2006年3月期は売上高161.47億円で、営業損失が11.84億円。2007年3月期は売上高170.29億円で、営業損失が7.91億円。債務超過は29.66億円。

構造不況業種と呼ばれて久しい百貨店業界は再編の渦中にある。伊勢丹は2007年8月に三越と経営統合で合意し、2008年4月に共同持株会社「三越伊勢丹ホールディングス」を設立する。今後、三越伊勢丹は三大都市圏での攻勢を強める一方で、地方の重複店を整理する方針を打ち出すと受け止められていたが、主導権を握る伊勢丹が経営統合に先んじて小倉伊勢丹を切って捨てることで、三越に対して地方店の整理を促す意図があったようだ。

伊勢丹は連結子会社の岩田屋を都心店、小倉伊勢丹を郊外店と位置づけて見当違いの店づくりを行い、北九州で足まめに百貨店へ通う中高年女性に嫌われた。2年目は中高年向け婦人服ブランドを増やすなどの修正がみられたが、変化のスピードが遅く、地元財界をやきもきさせていた。わずか4年での撤退は、伊勢丹が北九州の商圏に歩み寄らず、「福岡県」という枠組みの中で岩田屋と福岡三越の存続を優先させた結果でもある。

一方、2007年3月にJR九州に追い出されて博多井筒屋を閉鎖した井筒屋は、福岡商圏との対決姿勢を強めている。山口の老舗百貨店「ちまきや」を買収し、山口井筒屋の出店を決めたのは記憶に新しいが、セントシティ北九州の後継店誘致の際も、もっとも強く出店を希望したのは井筒屋だった。しかし当時は井筒屋一人勝ちに対する拒絶反応が強く、井筒屋との関係が良好な伊勢丹が選ばれたという経緯がある。井筒屋は小倉伊勢丹に出資することで相手を締め上げ、4年後にセントシティ北九州を手中に収めた。

ダメージを修復する必要あり

小倉伊勢丹は開店初日に14万人が来店し、2005年の初売りには12万5000人が来店した。この「お祭り時の潜在市場」は300万人の後背地人口を有す。地元政財界が小倉南口の一等地を東京資本へ明け渡したのは、地元資本では惹きつけられないこの潜在市場を北九州都心部へ惹きつけたかったからだ。井筒屋は守りを固めるにはいいが、攻める駒としての心構えがあるのか。

百貨店は構造不況業種とはいえ都心の華の存在として注目度が高い。伊勢丹が4年で捨てた街という悪いイメージは、今後北九州全体についてまわる。単に小倉伊勢丹より素晴らしい店をつくるだけでは、この悪いイメージを払拭できない。伊勢丹撤退のダメージを修復するにはイメージ戦略が必要だ。井筒屋が新しい店づくりで国内外の有名店と業務提携するなどして裏方にまわり、「小倉の街は引き手あまた」と演出するのが手っ取り早いが、今後の方針はまだ見えてこない。

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