筑豊の代表的な炭鉱主住居である伊藤伝右衛門邸(飯塚市幸袋)の市民向け限定公開が6月6日にあった。
伊藤邸は1897(明治30)年頃、当時の代表的な炭鉱主であった伊藤伝右衛門によって建てられた。建築学的には当時の大規模炭鉱主建築として、また近代の代表的な和建築として極めて貴重なものである。

写真・伊藤伝右衛門邸
この建物を語る上で欠かせない出来事は、伝右衛門と後妻・柳原白蓮の離婚問題であろう。皇族の血を引き、大正の代表的歌人でもあった柳原白蓮は1921年、伊藤伝右衛門に新聞上で公開離縁状を叩きつけ、不義の恋人であった宮崎龍介と駆け落ちした。
この出来事は当時盛んになりつつあった女性解放運動と連動し、一大センセーショナルを巻き起こした。この時の騒動をモデルに菊池寛が脚色し、書き起こした小説が『真珠夫人』であることは、意外と知られていない。
2001年、建物の所有者(当時)である日鉄鉱業から飯塚市へ買上げの話が持ち込まれ、学会はじめ各団体から保存要望の意見書が出されていた。2005年11月、飯塚市と企業両者の間で売買交渉が妥結し、2006年5月、産業考古学会が「推薦産業遺産」に認定した。6月19日には飯塚市に認定証が手渡された。
今回の公開は部分的な補修工事前に行われたもので、これから数ヶ月間、「筑紫の女王」白蓮が伝右衛門との10年間を過ごした住居は、工事のベールで覆われる。
飯塚市は今後、伊藤邸の重要文化財指定に向けた手続を進める。この豪壮な邸宅が来年3月の一般公開以降、重要文化財となることはほぼ間違いない。