関門通信

論説

北九州港敗北、博多港に屈す スーパー中枢港

北九州市と福岡市は18日、スーパー中枢港湾の指定を受けるため、北九州港と博多港が連携することで合意した。かつてスーパー港の筆頭候補だった北九州港は、ひびきコンテナターミナル設立にかかる一連のごたごたで指定を逃しただけでなく、ついにはライバルの博多港に屈する最悪の結末を迎えた。

北九州港と博多港のコンテナ

北九州港は貨物取扱量や輸出入額で西日本(中四国九州)最大の港だ。博多港との比較では約2倍の港勢を有す。博多港の内国移出の半分を占めたトヨタの自動車運搬が2004年11月に博多港から北九州港へ拠点変更したこともあり、全体としては格差がより拡大する傾向にある。

しかしことコンテナに限っては北九州港は博多港に対して分が悪かった。北九州港のコンテナは成立が古い。田野浦にコンテナターミナルが開港したのはいまから35年も前の1971年で、現在の主力となる太刀浦の第1コンテナターミナルが供用を開始したのは1979年だった。水深は第1コンテナターミナルで12メートル、第2コンテナターミナルで10メートルしかなく、船舶の大型化に対応できない。

博多港は1990年代になって大水深岸壁を整備してこの分野へ参入した。コンテナ岸壁は水深が13~14メートルあり、開港と同時にまたたく北九州港からコンテナを奪った。東アジアのコンテナ航路が釜山港の台頭などにより、太平洋ルートから日本海ルートへ主力を移したことも博多港に与した。博多港が日本海ルート・釜山港の衛星港(フィーダー港)なら、太刀浦港は太平洋ルート・神戸港の衛星港だったからだ。

国の不興を買ったひびきコンテナターミナル

北九州港は日本海ルートに対応すべく響灘に水深15メートルの岸壁を備えたひびきコンテナターミナルを整備したが、運営会社の中核企業となるPSA(本社、シンガポール)の業績不振などを受けて開港がひどく遅れた。ひびきコンテナターミナルを民間活力導入(PFI)方式による国際中核港湾と位置づけ、鳴り物入りで支援してきた国土交通省は面子を潰されて怒り心頭だった。

国土交通省は2004年のスーパー中枢港湾選定で北九州港を除外し、北九州港より評価が低かった博多港との適切な機能分担を求めた。博多港は単独指定の見込みがなかったことから、国の方針を歓迎した。しかし北九州港がこれを明確に拒絶したため、国土交通省は北九州港に対する心証をなおいっそう悪くした。

2005年には九州運輸局海運部門を海運の中心地である北九州市から福岡市へ移転することを決めた。業務の効率化が理由だったが、北九州市には海上保安本部や海難審判庁など海運関係の主要機関が一堂に集まる。さらに、これまで見送ってきた博多港の水深15メートル岸壁も承認した。

連携の不利益

博多港が北九州港との連携を目論んだのは、新鋭のひびきコンテナターミナルを利用したいと考えたからではなく、博多港に大水深岸壁を整備したかったからだ。博多港が1990年代に大水深を売り物にして北九州港からコンテナを奪ったように、今度はひびきコンテナターミナルが博多港から根こそぎコンテナを奪うのではないかとひどく恐れていた。

一方、北九州港は博多港と連携して得るものがなにもない。連携すれば競争よりも協調と分担が求められる。我慢の15年を経てようやく優位に立てるインフラを手に入れたのに、競争を否定されては現在の力関係から抜け出せない。釜山港に対抗しうる東アジアの中枢港湾という夢も潰える。高コストの博多港と抱き合わせにされて、どうして釜山港が追撃できるのか。

博多港と連携すれば博多港のインフラ整備が進むという懸念もあった。ひびきコンテナターミナルは第1期事業が終わり、当面は北九州港にインフラ整備の計画はない。しかし国土交通省がスーパー港とは無関係に博多港に大水深岸壁を整備することを決めて、この懸念は無意味になった。

北九州港はここに至って、もはや国土交通省の方針に逆らうことは博多港と連携する以上に不利益が大きいと悟ったようだ。調整役の福岡県も新北九州空港連絡鉄道をちらつかせて北九州港に譲歩を迫った。北九州港単独で100万TEUを目指し、単独でスーパー港になるという当初の方針は、国や県の強大な権力の高波に砕かれ、もろくも波間に消え去った。

広告

広告

管理

関門通信は参加型のニュースサイトです。だれでも自由に記事を投稿できます。
Nucleus CMS v3.24 | ©2008 Kanmon Tûsin. Morrie & Co. All rights reserved.