椎田町と築城町は30日、福岡県の麻生渡知事に対して2町の廃置分合(合併)を申請した。両町は25日に合併協定調印式を行い、28日にそれぞれの臨時議会で合併関連4議案を可決した。今後は6月の県議会定例会での議決、知事の決定を経て、総務省が告示する。発足は2006年1月10日。
新町は2町による新設(対等)合併で、名称は「築上町」。面積119.34平方キロ。人口2万1848人(2000)。新町の事務所の位置は椎田町役場とし、新築したばかりの築城町役場は総合支所とする。議員32名に対しては在任特例を適用し、2007年7月末までは引き続き新町議会の議員として在任する。新町の議員定数は24名。
京築の合併は2003年3月に行橋市と勝山町、豊津町、犀川町、築城町、椎田町の1市5町で法定協議会を設置したのに始まる。これに先立つ2001年8月から研究会で協議を進めてきたこともあり、平成の大合併では優等生的な存在だった。また、築城、椎田両町が豊前市を中心とした合併協議には参加しない意向を明らかにしたため、枠組みの結束も固いと思われた。
枠組み破たんの背景には行橋市と豊前市の勢力争いがあった。築上東部3町村は中津市への志向が強く、西部2町は行橋市への志向が強かった。行橋市は2003年10月に行き場のない豊前市に対して京築の枠組みに合流するよう参加を呼びかけたが、こののち豊前市は椎田町と築城町の親豊前市派に最後の望みをかけて接触したとされる。
椎田町と築城町では2003年11月に「豊前市と3市町での法定協議会設置を求める住民発議」が行われた。発議は椎田町議会では否決されたが、築城町議会では可決され、築城町が京築の法定協議会から離脱することになった。豊前市は築城町の離脱を見届け、同12月に京築の法定協議会に対して正式に不参加を回答、一方、枠組みが破たんした京築の法定協議会は解散した。
豊前市と椎田町、築城町の1市2町は2004年10月に法定協議会を設置。しかし翌2月に椎田町で行われた住民投票の結果が反対多数となり、合併協定調印式の当日に椎田町が法定協議会から離脱した。京築の枠組みを壊したのが行橋市に接する築城町なら、豊築の枠組みを壊したのは豊前市に接する椎田町だった。しかし両町は行橋市と豊前市に翻弄された立場でもあり、一概に非難することはできない。
合併特例法の期限が1ヵ月後に迫る中で、単独の行財政改革では生き残れないという危機感を募らせた築城町は、豊築の法定協議会が破たんした直後の3月4日に椎田町に対して法定協議会の設置を申し入れた。しかし7日に提案された協議会設置案は椎田町議会が賛否同数・議長裁決により可決したのに対し、申し入れを行った当事者である築城町の議会は賛否同数・議長裁決により否決した。これに憤懣やるかたない築城町の有本重隆町長は17日の町議会臨時会でふたたび設置案を再提案し、今後は賛成多数で可決した。
築城町と椎田町の法定合併協議会は18日と23日に開催された。協議は京築・豊築の協議を踏まえてわずか4時間半で決着。異論が出た項目は挙手採決とし、問答無用で全項目を一挙に合意へ導いた。28日にそれぞれの臨時議会で合併関連4議案を可決した際も、築城町議会でこそ賛成が多数を占めたが、椎田町議会は賛否同数・議長裁決によって可決した。期限切れ間近という焦燥感のみが両者を突き動かした異常な合併協議だった。